冬の音像(中原中也のこと)

山羊の歌 (愛蔵版詩集シリーズ)冬になると思い出すのだ。詩人、中原中也が好きだった。彼の詩を読むと、不思議と奥底にある映像イメージが喚起される。
彼がどんなところで過ごしていたのか、そんなことが気になったので、学生の頃、冬のある日、一人で湯田温泉あたりをふらついたことがある。雪に覆われた白い風景と音のない世界。このあたりには、暫く前に、中原中也記念館もできている。
昔、「少年時」という彼の詩にギターの外薗浩嗣さんが曲をつけて、バンドのメンバーでアレンジしたことがあった。このアレンジと録音のプロセスは、楽しかったな。4chのMTR。不思議なことやちょっと怖いことが起きた。
そのうち、音をWEB上にとは思っていたが、面倒なのでやめていた。けれども、意外と簡単な方法が見つかったのと、メンバーの皆もオーケーとのことだったので、アップしてみます。MP3ファイル、itunes等で。
伊東啓太郎 音の風景
「少年時」
Vo, Guitar: 伊東啓太郎, Guitar, Chorus: 外薗浩嗣, Drums: 白坂ちか, Bass: 大里正治
今、改めてきいてみると、やはり、僕のギターは、不安をかきたてる。「聴く人の不安」をいい意味でかきたてるのではなく、間違うんじゃないか、間違うんじゃないか、という不安。ああ。毎回、その場のノリで弾くばかりで、きちんとしたフレーズを決めることがなかった。
時間があるときや、どうにもならんような暗黒のときや、そういう気分のとき。ヘッドフォンで聴かれることをお勧めします。
今、僕は、原稿〆切諸々でどうにもならんような暗黒時期を通過しているところです。
(以下引用)
中原中也 「少年時」
黝(あおぐろ)い石に 夏の日が照りつけ 庭の地面が 朱色に睡つてゐた
地平の果てに蒸気が立つて 世の亡ぶ 兆のやうだった
麦田には風が低く打ち おぼろで 灰色だった
翔びゆく雲の落とす影のやうに 田の面を過ぎる 昔の巨人の姿
夏の日の午過ぎ時刻 誰彼の午睡するとき 私は野原を走って行つた・・・
私は希望を唇に噛みつぶして 私はギロギロする目で諦めてゐた・・・
ああ 生きてゐた 私は生きてゐた
(引用おわり)