third place

tapio2010-09-12

研究室修了生の大石悠乃さんから連絡をもらっていたので、久しぶりに。
夕方から、壱岐南小学校ビオトープの見学と大橋のカフェ手音にて。
橋口教頭先生からメールをいただく。綺麗になった水には、イトトンボやミズスマシ、アメンボなどが戻ってきた。
楽しいひととき。笑顔の報告とマスターの村上さんのアイスコーヒー。
コーヒー豆の匂い。木の椅子。光と影。しっくいの壁がだんだんいい色になっている。突然の雷雨。静かな音楽。こういうカフェがあるのは、いいなあと思う。
カフェというと、以前、Avantiという雑誌の特集で、サードプレイスについてのコラムの原稿を依頼されたことがあって、思い出したので。
「サードプレイスは、自然発生的にできたその都市の文化」
伊東啓太郎
 提唱者のオールデンバーグがいう「サードプレイス」とは、人が集い、憩いと交流が生まれる場所のことですが、昔は日本にもそういう場所がたくさんあったと思います。川辺の洗濯場や、祖父母の時代から続いているような常連の集まる古い飲食店、喫茶店など。都市化が進むにつれ、こういう場所は少なくなってきました。
 福岡や北九州だと、「屋台」、「角打ち」は、生き残っている典型的なサードプレイスではないでしょうか。たとえば、角打ちは、英国でいえばパブ。「そこにいけば誰かと会えて、話ができるような場所」です。それから、のみの市やフリーマーケットもそうだし、子どもたちの遊び場やお母さんたちの交流などの視点から見れば、公園もサードプレイスになりえるでしょう。
 仕事で公園や川など公共の空間をデザインすることが多いのですが、こういった空間づくりでも「人がくつろげる空間」「何度も来たくなる空間」というようなサードプレイス的視点は必要です。空間の設計にかかわる人たちは、このようなことを真面目に考えていると思います。でも、どんなに場を作っても、その土地の人の性質に合わなければ人は集まらない。これは公園に限らず街づくりを考える上で、とても大切だと思います。
 自分の“第3の居場所”は人それぞれですから、その土地のサードプレイスは、そこにいる個人や集団の性質が色濃く反映されます。だから、意図的に作ろうとするのはとても難しい。本来は自然発生的に生まれてくるものでしょう。そしてその場所が長く続いていくことで、その土地の文化になっていくのだと思います。
Avanti, 3月号, 2009)