Fukuoka again

tapio2006-08-02

ParisCDG18.00。ポルトガルほどではないがやはり暑い。
翌夜20.00福岡空港。戻りました。
パリで待ち時間が9時間あったので、街に出た。唯一知っているムフタール通り辺りの定食屋でご飯を食べて。
川沿いと南側の大通りをただひたすら歩いて、その後飛行機に。ポルトガル田舎町のの3倍の価格のcafe。ここは大都市なんだと再認識。11ヶ月ぶりなんだけれど、結構、店が入れ替わっていた。
7/28。旅の終わり頃、ちょっとした隙に、窃盗団に荷物をまるごと盗まれた。旅を続けるのに本当に必要なものを除いて。パソコンも携帯もシャツもいろんなものが突然身の回りから消えた。自然公園内、30分間の出来事。車の鍵を壊された。「プロ」の仕業。現地警察のジョアンには、本当にお世話になった。パトカーで本部まで先導してもらったり、煩雑な書類を作ってもらったり。
当然、この件に関しては、怒りや悲しみや喪失感など多くの感情が湧き起ったのだが、一方で便利なモノがない世界の爽快感も味わった。ペンとノートでのイラスト記録に戻った。
盗難にあったのは、1989年バルセロナのユース、マルセイユヴェニス行きの夜行列車内に引き続き3回目。バルセロナでは、街の音を録っていた録音機を。夜行列車内では、リュック丸ごと。阿呆かと思うでしょう。うん、そうなんです。いずれもちょっと慣れてきたときや気を抜いたときに起きている気がします。旅を続けるのに大きな支障はなかったけれど。でも一番悪いのは、たぶん泥棒なんだけどな。
旅の場合、楽しさと安全は、反比例することが多い。悔しいけれどすっぱりと諦めた。「生きてりゃいいさ」ってことに。
リスボンに戻ったら、週末の「泥棒市」を楽しみにしていた。しかし、さすがに今回は行く気がしなくなったからやはりかなりのショックだったのだろう。
途中の日記は、面白い写真、シザの建築写真やメモも含めて近く追加いたします。
携帯電話は、今手続き中です。これを機にwillcomに変えましたので、番号が変更になります。willcom同士通話料無料、ネット通信料固定に惹かれて。